地域に根ざした私の社会貢献活動
大阪支部 堀田 久範
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1.活動開始の経緯と活動内容
私は旧藤沢薬品に入社した1978年(28歳)から今日まで(72歳)大阪北部の茨木市南春日丘に住んでいる。途中転勤で7年半(1981年10月~1989年3月)、またアステラス製薬発足後2年半(2007年10月~2009年3月)は東京に居住した。
私の社会貢献活動は1992年(43歳時)に始まる。ある講演会で、「日本社会は、様々な分野でアメリカより10年~15年遅れている。今アメリカで日常的に行われている地域でのボランティア活動は、いずれは日本にもやってくる。地域が豊かであることが自分の豊かな生活につながる」といった話を聞いたことが心に残っていた。結婚して以来住んでいる緑豊かなこの地域が好きだった私は、この地域の豊かさに貢献することが自分の生きがいにもつながると考えるようになった。
たまたま公民館講座に私の大好きなソフトボールがあり、健康維持と練習、試合で集中する時間を楽しむために入部した。いざはじめてみると、ソフトボールを楽しむことに加え、公民館が主催する文化展などの行事への協力や小学校の土手の草刈りのような奉仕活動を行っていた。まさにソフトボール講座を起点に、地域住民とふれあい、豊かな地域作りに貢献できる活動であった。
一方で、会社では臨床開発のプロジェクトリーダーの職にあり、地域活動の継続に悩んだが、会社は週休2日制、また地域活動開始時の約束事が仕事優先であったことから、家族の了解を得て続けることを決心した。
ソフトボールのメンバーとはすぐに溶け込むことができた。有名高校野球出身者、会社社長など様々な経歴をもつ仲間と活動していると、価値観の多様性に驚かされるなど会社人生では得られない新しい発見があり、それが生活の刺激にもなった。そして活動を開始した2年後に公民館の運営委員に推薦され、行事の企画、運営に当たることになった。加えて、地域の氏神様、春日丘八幡宮の氏子総代にも推挙され、こちらの活動も開始した。
その他の活動も含め、私の社会貢献活動は表のとおりである。会社勤務中の50歳中頃までは活動に参加できないこともあったが、定年後の60歳以降は、ほぼ休むことなく活動を続けている。なお、すべて無償である。
私の主な社会貢献活動
1.公民館運営委員として企画・運営:1995年~2015年(最後の2年間は運営委員長)
2.公民館ソフトボール講座生として地域住民とのふれあい活動:1992年~(継続中) 3.子供ソフトボールのコーチ・監督として子供たちを指導:1996年~2003年、今年再開) 4.春日丘八幡宮氏子総代として:1995年~ (現在役員として活動) |
2.具体的な活動内容
1)公民館活動を通じて
公民館活動の基本方針には、住民の自主的な学習活動を支援し、生活の向上と文化の振興に貢献できる地域社会づくりに努めることとある。要はその地域に住まう人たちが、健康で生きがいのある人生を享受でき、ここに住んで良かったと思えることの一助となるように手を差し伸べる(Reach out)活動である。
年間の主な活動は、グラウンドゴルフ大会(3月)、子供会ソフト・キックベースボール
(6~8月)、ふるさと祭り(8月)、体育祭(10月)、文化展(11月)の企画、準備、実施である。小学校体育館で開催する文化展では、地域住民、幼稚園児や小・中学生、老人ホーム入居者、公民館講座生などからの絵画、書道、園芸など1年間に創作された作品を展示する。会場には地域住民からお借りした菊の鉢植えを置いて華やかさを添える。住民有志の指導による手作りの実習コーナーやくつろぎの喫茶コーナーも用意する。毎回350~400名の来場者があり、地域の文化に触れて頂いている。
文化展と同時にグラウンドでは、お店(たこやき、焼き鳥など)、餅つき体験や黄粉餅提供など運営委員と地区協力委員による手作りの催しがある。中学校生徒による和太鼓演奏も披露される。行事の反省会は必ず行い、次年度に役立てている。
晩秋の一日、大勢の参加者で賑わい、特に子供たちの笑い声が絶えない情景に触れていると運営の忙しさも忘れてしまい、やってよかったと心に安らぎを覚える。
その他の行事も、いわゆるPDCAサイクルを活用し、みんなに喜んでもらえる企画は何かを考え、毎年少しずつ改善をはかってきている。
2)ソフトボールチームでの活動
ソフトボールチームは、心身の健康保持・増進、技術向上、会員相互の親睦と共に、地域の文化・スポーツ活動に協力して地域住民との交流をはかることを目的としている。具体的には、①月4回の練習、近隣四公民館対抗試合や茨木市公民館対抗戦試合など、②上記公民館行事の会場設営や後片づけなど、③春日丘八幡宮主催の節分用福餅つき(150~180㎏を撞く)、などへの協力である。私は主将、監督を各4年間勤め、チームのまとめ役も行った。どの行事にも人とのふれあいがあり、地区住民のみならず、茨木市全域のソフトボールメンバーとも交流し、チームメートとして助け合いの心も育まれている。写真は2019年優勝時の優勝杯を受けたときのものである。力仕事にもってこいのチームメートでもある。
3)子供会ソフトボールチームの指導者として
「子供は地域の宝」とのキャッチフレーズのもと、登下校の見守りなどさまざまな取り組みが行われている。私は茨木市主催の中央大会参加前の予選として行なわれる地域の子供チームの指導に当たってきた。8年間携わり、健全育成の視点から、技術的なことに加えて、礼儀や努力の継続、助け合い・励まし合うことの大切さを教えてきた。茨木市の中央大会に2回導き、勝利したこともあり、その経験は保護者を含めて少ない人数ではあるが、新たな感動やよき思い出を共有したこともある。
今年から、孫が活動していることもあり(写真は4年生の孫と)、再度コーチとしてチームの指導に当たっているが、30年前に子供ソフトボールチームに参加していた父親の子供や、私の知人で元オリックスバッファローズ投手の姉の子供が入部するなど、思いもかけないうれしい出会いもある。
コロナ禍の状況ではあるが、家庭での過ごし方や工夫した練習を取り入れるなど子供の成長を後押ししている状況にある。
4)地域神社の氏子総代として
当地区には現在、約4,500世帯に18,000人(うち小学生は900人前後)の方がお住まいである。
春日丘八幡宮は、当地の守護神として1938年(昭和13年)に建立、応神天皇をお祀りしている。氏子総代は約30人で構成され、氏子と共に氏神様の永代護持をはかっている。
ただ、神社は教えを強制するような、いわゆる宗教の施設ではない。生きていることに感謝する、あるいは自然を崇拝するといった信仰、また地域社会の和を保つこと、これが日本の神社のあり方であると考え、行事の企画、運営に当たっている。
さて、当神社のすべての行事運営は、外部の力を借りることなく、総代の奉仕活動として行われる。本殿や鳥居のしめ縄、門松、夏越の祓い神事に使う茅の輪などすべて手作りである。主な年間行事は、①元日夜半からの参拝者のお迎え、②左義長祭(1月)、③節分用福餅つき(1月末)、④節分祭(2月)、⑤体育祭(4月)、⑥夏越の大祓い(6月30日)、⑧秋季大祭(10月)、⑨本殿、鳥居のしめ縄作り(12月)、⑩門松づくり、しめ縄飾り、お神酒所や売店、提灯飾りなどの正月準備(12月末)である。
元日の夜から約2,500人の人たちが参拝に訪れ、1年の安寧を祈る。たる酒が振舞われ、にこやかに挨拶を交わす。売店でお神札を買い求めたり、おみくじを引いて今年の運勢を占ったりと恒例の風景が繰り返される。奉仕活動の始まりである。
節分祭では、本殿前の手作りの舞台で赤鬼、青鬼に扮した総代が暴れ、その後福男、福女(最近は校長先生も参加)が福豆を撒き、境内に埋まった大勢の人たちが受ける時には歓声で大いに賑わう。その後鬼と写真を撮ったりし、福餠を受け取って終わる。午後から5回行う。これとは別に、鬼が地域の老人ホームなどをまわり、鬼踊りや鬼退治の豆まきで笑い声に包まれ、大いに盛り上がる。みんなが幸せで過ごせますようにと祈りながら青鬼を演じている私である。
GW前に行われる体育祭は50回を超える歴史があり、走り競争、親子ボール運びなど子供からご高齢の大人まで参加できるプログラムを組んでいる。鯉のぼりがはためく中、それぞれの競技で見物客から拍手が送られ、大いに盛り上がる行事である。有難いことに、最近は大手新聞記者が取材にきて、北摂版に記事にして下さっている。
秋祭りでは五穀豊穣、地域の安寧に感謝し、300人以上の子供たちと一緒にお神輿を引いて町内を巡行する。また、子供たちから構成される太鼓隊、鐘による囃子隊が、1週間の練習を経て、車に乗ってお神輿と共に地域をまわり華やかさを彩る。写真はお祭り終了後、本殿前で撮ったものである。
神社の行事が地域住民の結びつきになっていることがこの地域の特色である。行事のたびに住民がにこやかに触れ合う雰囲気に接すると、豊かな地域作りに貢献していることを実感し、「安らぎ」を覚える。また、子供たちが将来、この地をふるさとと思ってくれればと願う。何事にも「手を差し伸べる」ことを信条にしている私にとって、総代の仕事はやりがいのある活動である。
3.地域貢献活動で得られること
以下のようなことかと考えている。
- ① 地域住民が健康で文化的な人生を享受できる活動の一助に貢献できる。
- ② 子供たちの健全育成に貢献できる。また、その成長ぶりに触れ、自身の生活を見直すきっかけにもなる。
- ③ 退職後無職となってもスムーズに地域活動に入っていける。
- ④ 体力の維持、生活に張りができるなど心身の健康維持に役立つ。
- ⑤ 様々な人生経験のある人たちとふれあい、豊かな人間性を育むことができる。
- ⑥ 多くの仲間ができ、様々な問題や課題に手を差し伸べ合う関係ができてくる。
- ⑦ 様々な行事を企画、運営していると自然と聞き上手になる。コミュニケーションを円滑に行う上で役立っている。
- ⑧ アステラスの認知に大いに役立っている。余談ではあるが、私は一時期、上記の活動の他、自分の専門性を生かし、公民館等で薬の使い方や病気や治療に関して講演してきた。お蔭様で薬のことに関しては、「あいつに聞け」と、自分の立ち位置を認知してもらっており、活動しやすい状況にある。そして折に触れてアステラスの名前を覚えてもらう努力もしてきた。
最後に、私は、様々な活動を行う上で、大事にしていることがある。それは、「合意形成を妨げる最も大きな要因は、感情的なしこりや対立であると心得、特にコミュニケーションの取り方、例えば相手をやり込めない、あるいはフォローを怠らないことを常に意識する」ことである。会社人生で学んだことであり、これからも大切にしていきたい。
4.終わりに
公民館や神社の様々な行事を通じて、住民のふれあいの場を作り、その中で生活文化の向上や助け合いの心が生まれること(お互い様の心)に貢献できることは自分の喜びである。地域活動の中で生まれる新しい発見、驚きなどで生活に張りができ、心に安らぎを覚えたりする。
新型コロナウイルス感染症拡大のため、現在行事のほとんどを中止しているが、少しでも早く開催できるようにと祈願しているこの頃である。
地域で社会貢献活動を始めて来年で30年になるが、SDGsの視点から活動を整理しつつ、新たな気持ちでこれからも継続していきたいと考えている。
以上
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