世話人 林 一也
仙台支部の全体行事『歴史講演会』を実施しましたので 報告します。
2024年1月19日(木) 東北大学災害科学国際研究所・講義室にて「東北大学災害文化研究分野・ 准教授 蛯名裕一先生をお招きして 歴史講演会を実施しました。
仙台支部の歴史大好き13名が集まり 14時~16時までの2時間 先生のお話を熱心に傾聴しました。
【演題】「伊達綱村公は 明君か?暗君か?」
(ちなみに現在「宮城県」では 綱村は「伊達藩(仙台藩)の中興の祖」と言われています)
【内容】「伊達騒動(小説:樅ノ木は残った:山本周五郎で有名)江戸時代前期に 仙台藩・伊達家で起ったお家騒動」が終焉した後 当時2歳の「亀千代」に 伊達騒動後の「藩主」としてどうしても「明君」になってほしいとの思い(それぞれの立場にとって都合の良い思い)を担って「4代藩主」になった綱村が「明君」になる為に 武術・学問(儒教 仏教:黄檗宗)経済(紙幣導入・塩竃の優遇等)等その時代においては優れた政策を実施したが それぞれの立場での評価は
①親族 特に奥方&親類(賢く学問に長けていたが リーダーシップが取れていない)
②江戸幕府(幕府の方針に従っていたので評価された)
③一門衆(政策が専制的だったので 自分達にとって都合が悪かったのか酷評でした。
最終的には 個人的な性格・感情等だけで評価されてしまい「明君」としての評価を得ませんでしたが「暗君」かと言うとそうでもない。藩主としての「仕事(政策)」はしっかりやっていた。
【結果】4代藩主・伊達綱村は「伊達騒動の後始末」と「時代の流れ(武から文に代わる流れ=家綱・綱吉時代)」に翻弄された藩主で それぞれの立場から見ると「明君」(「名君」ではない)であり「暗君」であったとの講演内容でした。
その後の「質問コーナー」でも活発な質問が出ました。
ここでは2時間に及ぶ内容を詳細にお伝えできませんが 久しぶりに「本当の」歴史の学習ができました。また 歴史の見方が「それぞれの立場によって これほど違うのか」と感心しました。
来年度も同じ時期に講演会を予定しています。
「郷土の歴史」に興味をお持ちの皆さん 是非とも参加お願いします。
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